推しが尊いので今日も生きてる

推しへの感情がゴチャゴチャになった時に整理するブログ

I will...

※別サイトにて2020/07/09投稿

2018年7月8日、渋谷すばるくんが関ジャニ∞として最後のTV出演

あの日からまだ2年。

最近、アーティスト渋谷すばるとしての初のLIVE「二歳」のDVDが私の元へ届いた。正直言うと、受付締め切りギリギリまで購入するか迷った。形に残ってしまうと、彼がもう関ジャニ∞の一員ではないと目に見えて分かるから。いまの5人に夢中になる為に、自分の頭の中から「関ジャニ∞渋谷すばる」を残しておきたかったから。

毎晩のように友人に電話し、「買うか迷ってる。どうしよう。」と相談をした。今思うと、迷っている時点で、相談している時点できっと関ジャニ∞ではなくなったすばるくんを応援する一歩を踏み出していたのかもしれない。

彼の生身の姿を、彼の生歌を昨日のことのように覚えている。だが人間の記憶というのは割と曖昧で、頼りのないものなので、その時の自分の気持ちはあまり覚えていない。(あの時、noteという場に書き残しておいてよかった。)

「これからの、ここからの関ジャニ∞を応援してください。」

関ジャニ∞として、アイドル渋谷すばるとして最後のテレビ出演で彼が言った言葉だ。当時の残されたメンバーとしては、プレッシャーだったとともに「すばるが居なくても成立するんだと周りに証明しなきゃ」と壁を乗り越えるための原動力でもあっただろう。

すばるくん、あなたが抜けてから関ジャニ∞はより強くなって、前以上に魅力的なグループになったよ。

歌で引っ張ってきたすばるくんに追いつこうと、楽器の腕を磨いてきたメンバーたち。目標とするものがなくなった時に大丈夫だろうかと心配したが、今は誰かに追いつこう!ではなく、みんなが互いに補い合って、5人全員で関ジャニ∞というグループを、eighterというファンを引っ張っている気がする。

すばるくんも生存確認をしてくれたあの日から、たくさんの活動を発信してくれている。LIVEや生すばる、アナグラTVにインスタ・ツイッター・・・

あんなに悩んで結局注文した二歳のDVDには、全て一人でこなす渋谷すばるが居た。正直私は、そんな早く強くならないで欲しかった。

いまのすばるくんに対する気持ちは、どこか6人の時代の関ジャニ∞に抱いていた気持ちに似ている。自分だけがずっと同じ場所にいて、自分を取り巻く環境や景色が目まぐるしく変わっていく。その変化について行けなくて、ついて行きたくもなくて私は駄々をこねて同じ場所に丸くなって座ってこうしてnoteを更新している。

何度再生したかわからない、すばるくんが居るように感じた十五祭のDVDを見て、また涙が溢れる。二歳のDVDに入っているドキュメントを見れないのは、こうしてまだ関ジャニ∞渋谷すばるの幻影にすがりついているからだろう。

すばるくんのLIVEは嘘偽りなく、いい思い出になっている。だが何度でも私は舞台の上に7人で揃っている姿が見たいと夢をみる。彼の進んだ道を受け入れて、見るのを隠して、受け入れて、見るのを隠して・・・今後もそうやってなんだかんだアーティスト渋谷すばるを見守っていくんだと思う。でも、全てを受け入れて応援できる程まだ私は強くないし、アイドルとしての渋谷すばるを捨てきれていないので、こうして立ち止まってしまうことを許してね。

ちゃんとアイドルではない彼の生き方を応援できるようになった時、この二歳のドキュメント映像を見ようと思う。その時はライブ映像を見た時のように苦しくなるのではなく、笑って見れたらいいな。

そして今日、7月9日はジャニーズの産みの親であるジャニー喜多川さんがお亡くなりになって1年の日でもある。私を関ジャニ∞に出会わせてくれてありがとう。おかげで、想像以上の悲しさや、予想以上の嬉しさなど、好きになっていなければ体験できない感情を教わりました。いまでは関ジャニ∞に出会っていなかった頃の自分が何をしていたのか思い出せないくらいです。そして、彼らを好きでい続けることで友人がたくさんできました。好きなものが一緒なら、場所や年齢なんて関係ないということも分かりました。エンターテインメントがもたらす力はとても大きく、いち早くその力に気づき、自分の人生を費やして子供(ジャニーズ所属タレント)を育ててきたジャニーさんがいかに凄い人なのか今になって分かります。

ジャニーさんの意思を引き継いだ彼らのエンターテインメントが、今後どのように種を蒔き、どんな花を咲かせるのか私も楽しみにしています。