推しが尊いので今日も生きてる

推しへの感情がゴチャゴチャになった時に整理するブログ

傷と時間の関係性

※別サイトにて2020/04/16投稿

2年前の4月15日、突然ジャニーズファンクラブからメールが来たと思ったら「大切なお知らせ」だった。この時の傷で私は今も大切なお知らせ恐怖症(これについては前の記事へ)が残っている。

2日前に急に出された週刊誌には「渋谷すばる関ジャニ∞脱退へ」というものだった。私が彼を応援するようになってすぐの出来事で、本人の口から聞くまで週刊誌なんかに踊らされてたまるか!と不安な気持ちを押し殺していた。

そして前日、オールナイトニッポンサタデースペシャル大倉くんと高橋くんというラジオ番組で大倉くんが意味深なことを涙声で言っていたのを覚えている。

変に勘ぐるのはオタクの悪い癖だ。
それが自分の推しなら尚更のこと。
嫌な予感を抱えつつ、夜が開けると冒頭で言った通りメールが来ていた。

11時、記者会見が始まった。当時、記者会見なんて言葉は大袈裟で、ただ週刊誌に書いてあることは嘘です〜って言うんでしょ?と現実逃避をしていた自分をぶん殴りたい。

1人だけだと思ったその会見は、メンバーが同席していた。そしてそれぞれ何か抱えた表情をし、横山くんに至っては溢れんばかりの涙を零していた。

「私渋谷すばるは、ジャニーズ事務所を退所することとなりました」

私の中の時が止まり、カメラのフラッシュは大量にたかれていた。
受け止める間もなくメンバーからの彼への言葉、今後についての会話がテレビからは聞こえていた。
詳しいコメントについて(‪ https://toyokeizai.net/articles/-/217011 ‬)

開いていた携帯にふと目を落とすと驚きと悲しみと不安の声に溢れる文字ばかり見えた。
状況が読み込めない私はまだ涙を流すことが出来なかった。

その日はもうベッドから1歩も動けず、友人と遊ぶ予定だったのも申し訳ないがキャンセルしたことを覚えている。

たかが推しが辞めるだけで?と他の人は思うかもしれないが
当たり前だったものがなくなる
自分の生きる糧だったものがなくなる
それはとても辛いことで、きっと経験した人にしか分からないだろう。

この時安田くんが欠席していた理由も「階段から転げ落ちて背中を骨折したから」と表の理由で告げられていた私たちファンは、やすくんらしいなんて馬鹿げたことを言っていた。

週刊誌が出てからの対応の速さ、異例のメンバー揃っての会見、安田くんの欠席理由…
今思えば少しでも私たちの不安を軽減させようとしてくれたことなのだなとわかる。

なぜこんな昔の話をしているのかというと、コロナウイルスの影響で自宅待機の措置を取っている今、部屋を片付けていた時に見つけた雑誌がきっかけである。

雑誌なんて買い始めたらキリがないので、買わないようにしていたのだが彼の会見後に出た「関ジャニ∞の歴史」とタイトルのつくものは全て買って保管していたのだ。

2年たった今、ようやく私は開けなかったページを開くことが出来た。

私は7人の関ジャニ∞が大好きだ。
でも、こうして「懐かしいな」「こんなこともあったな」と過去としてページをめくる事ができたのは、間違いなく今の5人の関ジャニ∞が私たちを置いていくことなく一歩一歩一緒に前に進んでくれているからだろう。

彼らはよく「ありがとう」と言う。
毎回披露した曲の最後には深々と頭を下げる。
こんな時期だからこそ、とエンターテインメントを色んな手で提供してくれる。笑顔を与えてくれる。

そんな人たちを見失わなくて良かったと心から思う。
傷ついた最中は無我夢中で、前なんて見えないだろう。でもなんだっていいから前にさえ進めば、時間が経ち、整理が出来るようになる。

私は傷は癒えてはいけないとおもう。
傷跡になっているからこそ、その時の気持ちや状況を思い出してその経験から得られることがたくさんあるはずだからだ。

「彼の存在を完全に消そうとしなくていい、それは彼がいた証であるから」

無理やり消そうとすると傷は広がってしまう。ゆっくりでいい、未練があるままでいいから前へ進んでみてください。後から振り返るとそこには自分が乗り越えたものとして「傷跡」が残っているはず。

それはあなたが頑張った勲章です。

こんなに感傷に浸ることは中々ないので取り急ぎ書いてみました。この気持ち、忘れないようにしよう。